2008年12月31日水曜日

行く年



平成20年が暮れようとしています。
もう戻れないとわかっているのですが
年を重ねてきたせいでしょうか
大切な人と別れのときを迎えたような気分です。
振り返っても戻れないですね。

明日になればまた平成21年という日常がスタートする。
昨年の大晦日は荒れ模様の一日でした。
今年は穏かに一日が過ぎてゆきました。
常念岳もやさしくふるさとを見守ってくれているような気がしまた。

一年間この拙いブログを読んでいただいた皆さんに感謝します。
来年も書き続けることが出来るか自信はないですが
どこかでつながっていたい自分がここにいます。

では新しき年が素敵な年になりますよう・・・・

2008年12月28日日曜日

冬の青空


前回の投稿から時間が空いてしまいました。
ほぼ定期的に更新してきたころに比べると
ゆっくり自分に向き合うことを避けているようなところがあったのかもしれません。
”忙しい忙しい”と自分に言い聞かせるだけ・・・・・・
そして演奏会を終えた燃え尽き症候群との合併症ですかね。

あと数日で今年も終わりを告げます。
年初と年末でこんなに世情が変化した年もなかったのではないでしょうか。
すべて人のなせる業なのですが
どことなく自然災害にも似た評論が多いことに気づきます。
世界中が当事者ではなく傍観者になっているような気さえします。

我家の南にあるぶどう園に久しぶりで足を伸ばしました。
年明けからは剪定作業も始まります。
寒さをじっとしのぐことで新しい季節に命を広げることが出来る・・・・
自然の摂理は神のみのなせる業なのです。
ぶどうの自然の力をもっと信じる・・・・
丸い円柱状のものは稲わらです。
来季はこの力だけでぶどうをならせて見ようと思います。

朝のテレビで石破農水大臣が出演して日本農業について”識者”がさまざまな考えを論じていました。
どなたも自給率の向上は語ります。
だけど、誰にも犯すことの出来ない自然の摂理がすべてを決めることを語りません。
一部の成功事例がすべてのような錯覚・・・・
生命の対価をどう判断するのでしょう。
これまで日本農業はコスト高過ぎる
外国ではこんなに安いコストなのに努力不足と言っていた方が
国産至上主義を訴える。
こんな茶番を垂れ流すマスコミ、
そして底の浅いキャスターなんとかならないものでしょうかね。

農業はビルの中では成り立ちません。

2008年12月14日日曜日

きちっと向き合う


昨日誘われてセミナーに参加しました。
羽成幸子さんというカウンセラーでもありエッセイストでもある方のお話を聴きました。
五人の身内の介護体験をもとに、
介護する側される側の心のあり方を独自のユニークな発想と介護哲学でわかりやすくお話をされました。会場は200名ほど。ほぼ満席でした。
「介護することは自分の老いのリハーサル」と語り全国各地を講演し深い共感を得ている方です。
介護する側もされる側も慣れるしかない・・・かっこつけていられない。大変だと正直に思うこと。そして、自分の老いを意識することから介護は始まる・・・等、
我家のことを考えるとすべて身につまされる話でした。

そして、終わりに
「自分の老いと死を次の世代に見せることがたいせつです。
介護は自分の死のリハーサルでもあり、自分もやがて死ぬのです。
だからしっかり生きることが今大切です。命を燃やさないと死ねないのです。」

心にしみたお話でした。

2008年12月7日日曜日

ひだまり


師走に入りもう一週間が過ぎようとしています。
今朝も強い冷え込みでした。
氷点下五度・・・・・
でも、風もなく穏かな一日でした。
今日は大根を収穫し収納しました。
すらっと伸びた足ではなく大根は
我家の野菜生活を支える主要な食材です。
9月以来すくすくと良く伸びてくれました。
「大根足」と否定的?な表現がありますが、
実はすらっと伸びた白い足を意味すると私は思います。
午後、南側の廊下のカーテンを通して
柔らかな日差しが入り込んでいました。
陽だまり 日溜り ひだまり どの文字を使っても
その言葉の持つ語感は柔らかくて暖かくてやさしく包み込んでくれる
母親のような響きがあると思います。
今、そんな雰囲気のある居場所が少なくなっているような気がします。
地域の中に日溜りを作れるような生き方をしたいものです・・・・